よく出世にともなうゴマスリとか手練手腕とか権謀術数を危倶する人がいるが、それはヨコの世界でも要るのではないか。
会社を辞めて、他の会社へ行っても要るし、独立して厳しく生きていくときにも要る。
実力というものはそういうものも含めたトータルな総合力である。
そういういろいろな人間関係の怖さとか厳しさとか、そのへんを学んでサラリーマンは大きくなっていくものだと思う。
丸山真男さんのえらいところは、政治力の存在、あるいはその効用というものを決してバカにしなかったことである。
ともあれ、サラリーマンというのは大きな仕事のチャンスを得て、あるいはたくさんの部下を使ってこそ、自分も大きくなっていくものである。
そのために政治力を利用していく、あるいは出世の手練手管を利用していくのもいちがいに悪いとはいえない。
ただ、それを目的としてはいけないということである。
目的化してしまった人は、それを取り上げられたら何も残らない。
もぬけのからのようになる。
これは一流企業の出世主義者に意外に多い。
また、人間関係とゴマスリの達人ほど、いつの間にかその魅力にとりつかれ、それが目的になってしまいやすい。
そういうサラリーマンも当然ながら、会社をほっぽり出されたらカラッポで、使い物にならない。
というのは、人間関係も政治力も会社のなじみの人間関係があるから通用するだけであって、外の世界ではあまり適用するものではない。
天性のリアリスト福沢諭吉が見事に喝破したように、サラリーマンには、実力、虚力の両方がいる。
自分の能力を磨き、人間関係の中で仕事をしていくための怖さも学び、したたかさも身につけられるのが、ある面では出世レースである。
だから私は出世レースを必ずしも否定していない。
私自身、実際問題としてサラリーマンを辞めて三年になるが、後々まで印象に残っている存在は、やはり自分の仕事の能力を磨きながら、なおかつ出世レースもしたたかにやっていた社員である。
ただの出世主義者、人間関係だけでえらくなった人も印象に残らないし、能力はあるが政治力に欠けるために、集団レースで早々とひっくり返ってしまった人もわずかな印象しかない。
どちらにも関心のないサラリーマンはもうひとつ印象が薄い。
通常のサラリーマンのもつ能力で大事なのは、あくまで業務遂行能力だが、必ずしもそれだけではないということを知っておくべきである。
仕事師がよく失敗するのはそういう点である。
私がサバイバルな時代で生きるために必要な条件を、あえてひとつだけあけるとすれば、一種の「しぶとさ」である。
サバイバルが厳しくなってきた、出世レースも厳しい、そういう時代にこれからのサラリーマンというのは、チャンスよりもピンチのほうがあくまで多い。
ピンチをいかに切り抜けるかである。
だからしぶとさが大事になるのである。
仕事に非常に自信のある人がこれから覚えていかなければならないのは、逆にいえば、政治力である。
政治力とか人間関係の怖きである。
個性のある社員、知恵のある社員は、これからの企業は大事にしてくれるといいながら、そう簡単には大事にしてくれない。
現実はそんなに甘くない。
出る杭は打たれるムラ社会はそう簡単になおらないし、サバイバル競争が激しくなればなるほど、サラリーマンはむしろ他人に嫉妬深くなりがちである。
が、そこで簡単にあきらめてしまわないことが大事である。
能力のある社員、知恵のある社員といえども、組織にいないと大きな仕事はできないことがわかっているのだから、そう簡単につぶされてギブアップしないで、しぶとく生き残らねばならない。
ということは政治力も必要だということである。
一方、人間関係だけで泳いでいる人、組織の間をひょこひょこ泳いだり、派閥でえらくなっていく人は、逆に自分の能力も身につけないと、長期間のサラリーマンレースには帳尻が合わなくなる。
会社が合併した、親分がひっくり返った、子会社へ行かされた、肩叩きにあった、また、定年後ももう十年働きたい。
そういうときに、そういう虚力だけで生きのびてきたサラリーマンは拒然としてしまう。
使い物になるものが何もない。
そういう悲喜劇がサラリーマン社会に起こりつつある。
窓際族にでもされたら、懸命に脱出法を考えるべきである。
堺屋太一さんは、働かないでも給料くれるのだったら、こんな結構な話はないという。
アメリカ人だったら大喜びする。
理屈は確かにその通りだが、ところが日本の企業社会は人間関係で動いている。
仕事を切られるということは同時に人間関係を切られることになる。
そこが窓際族のつらいところである。
仕事が切られて、人間関係が切られたら、もうサラリーマンは手元に何も残らない。
だから私は窓際族にされたら、やはり懸命に脱出法を考えた方がよいといいたい。
脱出の手がなくて、あくまで残っていかざるを得ない人は、サラリーマンとしてのあきらめをはっきりもちなさいといいたい。
自分の会社人生に早く見切りをつげて、ほかの世界に楽しみや生き甲斐を見出すべきである。
会社人生に見切りをつけたら、逆に何でもできるであろう。
七年間も窓際族を続けて、定年後に大学の先生に化けたしたたかなサラリーマンを私は知っている。
窓際族から出ていくやり方は決してないとはいえない。
会社に辞表を出して、外の世界で戦うのもそうだが、社内で、あの手この手を使って必死になって窓際族からの脱出策を図ることもひとつであろう。
ともあれサラリーマンがしょっちゅうピンチに遭う時代だから、そういう面でしぶとさが大事になる。
遊びが重要なのもそこにある。
遊びはしぶとさの活力源のようなものである。
遊びができるということは、それだけ心に余裕があるということである。
会社の出世とかには必ず運、不運がつきまとう。
左遷でもそうである。
左遷で建った人、たとえばN謹券のT会長とか、東芝のI相談役とか、いろいろなサラリーマンの美談が伝えられているが、左遷で生き残った人はむしろ例外で、一回沈んだ人はそのまま沈んでいくケースが多い。
が、しかしそこはあくまで楽天的に考えるべきであろう。
一回や二回で殺されない、こういうものをサラリーマンは身につけていかなければならない。
会社人間を超える部分を持てそういう面で、これからは会社人間であって、同時に会社人間を超えている部分を持つことがいちばん大事である。
忠実な会社人間であること、すべて人並みにすること、会社の仕事ばかり一生懸命やること、出る杭は打たれるという雰囲気や嫉妬社会、牽制社会の重圧に耐えること:こういう会社人間の生き方をどこかで超えているものを持っていないといけない。
そういう社員がいままでは損してきた。
個性のあるセールスマンとか、遊びをよく知っている社員とか、外部に人脈をいくらでも持っている社員はむしろ怠け者だとみられて損だったが、逆にそうではなくて、そういう人が本当は勤勉なのである。
会社の中でいつも同じような仕事をしている人が勤勉ではない。
いわば会社人間を超えた部分でこれから勝負が決まる時代に入るのではないか。
それでもべつに働き蜂が悪いわけではない。
遊びというものは、自分の楽しさ、喜びである。
本人が喜ばなければ趣味や遊びにならない。
だから仕事が遊びになっても一向にかまわない。
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